"かたくら通信・母の聲"

12 / 02

かたくら通信・母の聲

お寿司







夕食を済ませて自室に戻ってテレビを見ていると電話が掛かってきた。
基本私は出ない事にしているので階下のタカコサンが取ったようだ。
しばらくして「お姉さんから電話」と言って受話器を持って階段を上がってきた。
「イツオ、確か誕生日だよね・・・」と言った。
長姉で私よりも4歳上で今年の12月には83歳となる。
甲府で開業医に嫁ぎ現在は悠々自適の生活をしている。
ただ、気質、体質的には私によく似ていて心配性で物事に対しては慎重、体質では私と同じように腎経が弱く今年手術をした。
私のように行き着くところまで行かないで腎の機能は果たしているようである。

姉の聲・・・母とそっくりだった。
実は母は毎年、誕生日の日にはどこに居ても電話をくれたのだ。
「今日はアンタの誕生日だよね」
ただそれだけだった・・・それも朝でもなく昼でもなく夜の夕食を終わった頃だった。
母の声を聞かなくなってすでに15年が経つたが、それが思わぬ形で再現されたように思えた。
姉とはお互いの息災を確かめあい、特に私の透析の事を心配してくれた。

母との誕生日の思い出が一つだけある・・・小学校の5年の時だった。
昭和も20年代の後半で誕生日を祝うような余裕も習慣もまだなかった。
けれど、その年に限って「何でも好きなモノを食べてよい」と言われた。
そこで我が家にお客が来た時に取る「お寿司を腹いっぱい食べたい」といった。
我が家から歩いて10分ぐらいの所にある「魚そう」というすし屋さんの出前である。
このすし屋は戦前からの老舗でともかく一貫がでかいのだ。
普通のにぎりの倍ぐらいの大きさであった・・・一人前で腹いっぱいになる。
けれど、私はかねてよりここのお寿司を二人前は食べてみたいと思ったのだ。
稀に、客や父親が食べ残したモノをたべる・・・それが楽しみで大抵、シメ鯖だった。
母は希をかなえてくれて・・二人前をとってくれた。
そして、姉と弟達の羨望のまなざしを受けながらぺろりと二人前を平らげた。
しかし、その夜、猛烈な腹痛を起こして誕生日は台無しになってしまった。
以来、誕生日祝いは沙汰やみとなって、腹痛の話題だけが残った。

けれど、私の中で好きな食べ物のダントツは「お寿司」でネタでは〆サバである。
今も甲府に行けば「魚そう」のすし屋はあり昔ながらの大きさだそうだ。
来年になったら是非食べに行ってみようと思う。




yodaさんの投稿 - 11:17:21 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
コメント
コメントはありません
コメントを追加
このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。
トラックバック