"かたくら通信・結婚記念日"

03 / 30

かたくら通信・結婚記念日

51年







今から52年前の今日、神楽坂の教育会館で結婚披露宴を挙げました。
その日は朝から雨でスピーチの中に常套句ともいうべき「雨降って地固まる」がありました。
式はタカコサンと私で15万円ずつ出し合って30万円で済ませました。
私は当時下宿していた家の小母さんが毎月5000円ずつ天引き貯金をしてくれたのでそれで賄ったのです。
50年も前のことですから今の物価に換算すると300万円ぐらいでしょうか・・・
ともかく親からは出してもらわず自分たちでだけの才覚での式でした。
一応、新婚旅行に行きましたが、小田急のロマンスカーで箱根に行きました。
夜、突然左の耳が痛くなり・・・急性の中耳炎次の日早々に帰ってきました。

新居は調布市にある東京都の住宅供給公社の多摩川住宅でした。
ここは高層住宅の走りで、16階建ての8階に住みました。
ここの入居が結婚式の前日の29日で綱渡りのような生活の始まりでした。
4月1日から私は世田谷区の若林小学校に転勤となりました。
タカコサンは渋谷区の渋谷小学校までの通勤でお互いに職場まで1時間ほどかかりました。
当時の私は諸先輩方から「最初が肝心」などというアドバイスを受けて結構暴君であったようです。
その年の秋に運転免許を取って通勤も少し楽になりましたが、一年半調布に住んで、次なるステップで町田市の藤の台団地に転居しました。
当時の住宅事情はサラリーマンの大半は団地に住むことが夢でしたが、抽選によって決まるので夢のまた夢となっていました。
ところが私は住宅運だけは良くて調布の多摩川住宅も藤の台団地も一発当選でした。
藤の台には5年ほど住んで個々の権利を売って、今の地に建売住宅を買いました。

思えば多少の波風は有っても大過なくここまでやってこれたのはタカコ様のおかげだと思っています。
いよいよ明日から結婚生活52年目に入りますが、残された年月をつつがなく過ごせることを祈るばかりです。
当面はコロナ禍をどのように乗り切りワクチンまで持っていくか・・・
私は透析などという生命維持装置を受ける身となってしまいましたが出来るだけポジティブに物事を考えるようにして余生を楽しみたいと思っています。

51年間の結婚生活は多くの人の支えがあったことはもちろんですが、なんといってもタカコサンの「忍耐と寛容」だったと思います。
感謝・感謝です。

yodaさんの投稿 - 14:47:41 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
コメント
コメントはありません
コメントを追加
このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。
トラックバック