"かたくら通信・長男"

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かたくら通信・長男

長男はつらいよ








先日墓じまいのことを書いたが、これが依田家長男の最後の仕事だった。
思えば長男に生まれたことによって子どものころからいろいろなことを課せられた。
まずは父が医者だったために家業を継ぐことを子どものころから言われ続けた。
しかし、私にはその資質や医学部に行けるだけの才能がないことを知っていた。
それだけに自分で東京学芸大学を選択するまでは実を入れた勉強はしたことがなかった。
家業を継がないということが分かった時に父は激怒して学費一切を出さないと宣言した。
そして実際に大学の四年間は学資や生活費は自分で稼がねばならなかった。
と、身延町切石で郵便局長をしていた伯父が局長職を継いでくれと言ってきた。
本来なら叔父は父の弟だが、そちらが本家であった。
しかし子どもがなかったので私に・・・ということだったが教員になりタカコサンと結婚したばかりだったので、将来性も考えて断った。

それでも何でも、長男の位置はゆるぎなくいろいろな責任が課せられるようになった。
まずは財産管理である・・・叔父夫婦が生きている間はほとんど関係ないと思っていたのだが、亡くなると途端に私にのしかかってきた。
土地関係(宅地、田んぼ、畑、山林・・・などなど。)一応相続をすることになった。
すると、相続税が重くのしかかり、住民税も毎年かかってきた。
そこで無住となってしまった切石の家を更地にして売却することにした。
ちょうど町村合併が行われていた頃で隣接していた役場が駐車場に・・・と買ってくれることになった。
切石の家は昔は旅館だったので文化的な価値もあったろうが、誰も住んでいないので年々痛みがひどくなり、台風や地震があるたびに冷や冷やしたものだった。
ご近所からの苦情も来るようになったので売却に踏み切ったのだ。
郵便局の局舎もしかりで・・・こちらは郵政改革と共に家賃の値下げも言ってきた。
2000年の小泉改革の時で、このまま貸すのか譲渡するか二者択一が迫られた。
賃貸するならば老朽化した部分の補修やなにやらでかなりの費用負担がかかることが分かったので、ならば郵政省に譲渡となったのだ。
ご先祖には申し訳なかったが私の力だけでは維持管理は無理であった。
ちょうど、退職も間近だったのでその決断でよかったと思っている。
最後に残ったのが山の上の墓で・・・こちらは決断するのに時間がかかった。
やはり家の処分などとは異なって先祖代々の霊が住まう所だ。
しかし現実、山の上のお墓までお参りするのは無理なので意を決した次第だ。
5月8日の法要を済ませば身も心も解放される。

けれど、あちらに行ったらご先祖たちに叱られるかもしれないなぁ・・・・


yodaさんの投稿 - 10:53:00 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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