"来し方の記・あの日あの時"

06 / 20

来し方の記・あの日あの時

一言







ちょうど2週間ほど前に、高校の後輩のM君から電話があった。
後輩と言っても彼とは3歳しか年が違わず、お互いにすっかりジジイとなっている。
「ヨダさん透析をしているそうですが、八ヶ岳に来た時には私がいつでも車を出しますよ」と言ってくれた。
彼も八ヶ岳南麓の大泉に山荘を持っているのだそうだ。
M君に言わせれば「一方ならぬ恩を受けている」というのだ。
そして、その恩というのは「あの日あの時」のたった一言のことだと思いあたった・
その時の状況は60年も経った今でも鮮烈に覚えているのだ。

当時私は貧乏学生で日日の糧と学費を何としても稼がなければならず、武蔵小金井の駅で「国鉄臨時職員学生班」という仕事をしていた。
いわゆる「尻押し」と言って満員電車に無理やり人を詰め込む仕事だった・
出勤は朝の6時半から7時半までで小金井駅の乗客のピーク時であった。
賃金は一時間働いて200円・・・それでもお昼代ぐらいにはなり、2年ほどその仕事を続けた。

その日は3月の初めの頃だったと思う・・・バッタリとM君と上りのホームで会った。
そして「Mよ・・・2期の願書をちゃんと出したか」と言ったのだ。
Mくんは当時1浪目。
当時は大学入試は一期と二期にわかれていて、いわゆる有名大学・・・東大、京大、北大、東北大など旧帝大系は一期、地方の新制大学は2期だった。
彼は一期校を受けて、一息ついていたが、滑り止めに2期校の願書を出すのを逡巡していたようだ。
そこで、私の声掛けに「ハッ」となって、地元である山梨大学の工学部に慌てて願書を出したのだそうだ。

その時の光景は60年経った今でもはっきり覚えていて、M君もそのホームでの出来事は鮮明に記憶に焼き付いていると言った。
結果、M君は山梨大学に入学して卒業後はFフィルムに就職して主に知的財産保護の仕事に就いたそうだ。
「もしあの時、ヨダさんに声をかけてもらわなければ今ある自分はないかもしれに」とまで言った。
私は偶然出会って、その時思いついたことを言っただけで、そんなに恩義に感じてもらえることではないと思っているのだが・・・
今ある彼のポジションは彼の並々ならぬ努力の結果と、彼を導いてくれた先達との出会いで、私の一言などほんのきっかけに過ぎないのだ。

それでも何でもお互いが「あの日あの時」の事を鮮明に覚えているとは・・・何か運命的な出会いであったのかもしれない。








yodaさんの投稿 - 09:50:51 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
コメント
コメントはありません
コメントを追加
このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。
トラックバック