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2021-10-23

旅だより・生誕地

川端町







今回の旅の目的の一つは、できれば自分の生誕の地を見ておきたい・・・
しかし、両親からはどのような場所で生まれたのかはちゃんと聞いていなかった。
両親は今はいない、4歳上の姉も昨年旅だって逝った・・・2歳上の姉は健在だが彼女とて3歳までの記憶は定かでないはずだ。
確か母が「古町という所で生まれた」と、言ったような記憶があったのでともかくその近辺を歩いてみたいと思った。

Y君の車から降りて思しきあたりを歩いいてみたが、日曜日のお昼前、それにコロナ禍もあってか街は閑散としていた。
印象としては疲弊した地方都市のそれであった・・・シャッターが下りて歩いている人もほとんどいなかった。
我が故郷の甲府の街の旧繁華街と同じような雰囲気である・・・日本という国はいつの間にか地方都市がダメになってしまったようである。
おそらく郊外に行けば大型の商業施設がありそれなりの賑わいを見せているのだろうが、それとてもう20年もすれば車社会が別な形態となり零落していくかもしれない。
記憶をたどれば都市の中心部が衰えていき閉店が続いたのは小泉内閣の経済政策ではなかったろうか・・・竹中何とかという人がアメリカ型の経済政策を持ち込んで大型商業施設を許容して・・・中心部の商店街が共存できなくなった。
車の運転ができるうちは郊外型の商業施設は便利だが、この年になり免許も返納してしまうと日用雑貨のようなものがほとんど手に入らなくなった・・・

家に帰り着いてから、ふと、戸籍謄本を見れば生誕地が記載されているのではないか・・・
家を建て替えた時の書類の中に確かあったはずである。
と、確かに生誕の地が記載されていた。
新潟市川端町1丁目1番地とあった・・・パソコンで位置を確かめてみると、現在はその地は新潟市立白山小学校となっていた。
Y君に電話で聞いてみると古町の近くでその付近は通ったとの事だった。

故郷は遠きにありて思うもの、そして悲しく歌うも
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじや

犀星は故郷に帰っても人々に受け入れてもらえない哀しみを歌ったのだそうだが知る人が一人もいない生誕の地を訪ねても同じ思いかもしれない・・・寂寥。







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2021-10-22

旅だより・福富太郎コレクション展・3

娘・鹿子木孟郎





「軍人の妻」の複製の絵を観たい向きは、「福富コレクション展」満谷国四郎で検索すれば出て来るはずである。

今回の展覧会で衝撃を受けた絵がもう一点ある。
鹿子木孟朗(かのこぎ・たけしろう)の「娘」という作品である。
彼は1874年に生まれ小山正太郎に洋画を学ぶ。関西美術協会院院長として洋画教育に大きな足跡を残している。

「娘」は小品であるが強く見る者に迫ってくる。
暗い背景に精緻に描かれた人物の胸像が浮かび上がっている。
明暗法によって、モデルの力強さが伝わってくる。
明治の女性のしたたかさや強靭な精神までも読みとれる。
決して美人とはいえないが時代を生き抜いている強さが見て取れる。
福富がこの絵をコレクションを加えてたのは多くの化粧によって飾られた虚飾の美女たちに囲まれていたので・・・生身の人間の姿を見ておきたいと思っていたのかもしれない。

福富がコレクションした時代よりもさらに時は進んで今のアイドルと呼ばれている子たちの無個性に驚く。
目の周りには薄く紅を入れ遊女の化粧のように見える。
加えてマスクによって半分顔が隠されているのでますます無個性である。
透析の針刺しをしてくれる看護師たちも無個性で誰が誰だか分からない。

どうやら無個性時代の到来はAKBあたりからで、続いて結成されたナントカ坂に至っては誰が誰だかわからない。
男の子もキレイキレイとなって全く興味がわかない。
80ジジイがいまさら何を言っても屁のつっかい棒にもならぬがこの絵に出会ってなにか強靭なモノを観たような気がした。

明治も、大正も、昭和も、まだこのような源日本人ような女性がいたはずだ。
何かすごく懐かしい人に出会ったような気持ちになった。







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2021-10-21

旅だより・福富太郎コレクション展2

軍人の妻






私がこの絵について知ったのは今から30年ほど前の「芸術新潮」誌上だった。
ちょうどその頃、福富太郎がアート・キャバレーという連載を始めていてその第一回ではなかったかと思う。
「軍人の妻」の作者の満谷国四郎は明治の後期から大正に活躍した画家で太平洋洋画会の創設にかかわっている。
本作は明治37年ごろに描かれた作品で日露戦争で戦死した夫の遺品を受け取る妻の姿が描かれている。
この絵は描かれて間もなく行方不明になっていたが、86年ぶりにアメリカで発見されてオークションにかけられる。
福富はこの絵がどうしても欲しくて、当時バブルがはじけて彼の仕事が苦境に立たされていたにもかかわらず10万ドル(当時のレートが1ドル150円ぐらい)で落札する。

私がこの絵に惹かれたのはやはり自分の戦争体験と無縁ではない。
私の子どもの頃、回りに戦争で父親を失った人たちがいて「靖国の子」などと言われた。
しかし、彼らの家族のもとに帰ってきたのは白木の箱に入った遺骨・・・だと言われているが、戦地の土や石ころだった。
友達がそっと見せてくれて・・・なんともいえぬ怒りのようなものを感じた。
以来、靖国などという言葉はまやかしのように思えているのだ。

件の絵の遺品は白木の台の上に乗っているが、軍服と軍帽と軍刀で妻と思しき女性が捧げ持った正面からの姿が描かれている。
バックは焦げ茶色に塗られていてその前に喪服を着た女性の姿が佇んでいる。
顔は伏目がちで口元をキリリと結び悲しみに耐えている表情が読み取れる。
立ち姿は喪服の黒そして襟の白、遺品の載せてある台の白い布が際立っている。
また、着物の裏地の裾が見て取れる。
不遜な言い方だが「女性は喪服姿が一番美しい」と言われているがまさにそれである。
しかし、その表情の中には耐えて耐えて感情を押し殺しているように見えるが顔の一点を針で突いていやったら、その悲しみがほとばしって出てくるように思えた。
そして、実はこの絵の実物を見てみたいと思ったのは、この女性の眼である。
福富はこの絵を見つめているうちに右目の眼もとに一滴の涙が溜まっていることに気づく。
複製画でみても確かに涙のようなものが見える・・・それを確かめたかった。
実際に絵の前の立ってみると今にもこぼれんばかりの涙の一滴が見て取れた。
そして、もっとよく見ると左目にも涙が溜まっているではないか。

実はこの涙の一滴がこの絵に命を与え、観る者に哀しみの深さを伝えているのではないか・・・そしてそこからいろいろな物語が始まっていくように思えた。



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2021-10-20

旅だより・福富コレクション展

女性の表情







われわれの世代の者にとっては福富太郎と言えばその福々しい顔をすぐに思い出す。
キャバレー王としても有名で全国にハリウッドというキャバレーを展開し東日本を中心にその数30店にも及ぶ勢いだった。
昭和40年代から50年代にかけてのテレビやラジオで大活躍をして親しまれていた。
そんな彼が絵画のコレクションをしているとは全く知らなかった。

絵を集めていると知ったのは今から30年程まえの「芸術新潮」であった。
「絵を蒐める・私の推理画説」という連載が始まり、優れたコレクターであり評論家であることも知った。
その絵は個人蔵であるから実物を見る機会はなかったが、このたび巡回展が組まれて、新潟まで観に行った次第である。
彼のコレクションは多岐にわたって、女性画を中心として日本画、洋画、ジャンルでいえば明治の黎明期の洋画、そして戦争画、などなど興味は尽きない。
それらのコレクションの特徴は他人の評価ではなく、自分が見て良いと思うものを集めている。
コレクションの発端は36歳の時に鏑木清方の絵に出合い衝撃を受けたこと。
それから鏑木の絵を中心にしてコレクションが始まる。
何度も偽物をつかまされたりしながらも彼の審美眼はゆるぎないものとなり世上の評判など一切気にせず自分の眼を信じてのコレクションである。
美人画が多いがキレイキレイな絵ではなく女性の表情の一瞬をとらえた絵が多い。
特に「心中者」と呼ばれる道行の絵は凄絶である。
おそらく心中する男女を描いた絵など縁起が悪いので売れても値が低い、
そこらあたりを狙った商売人の勘があったのかもしれない。
また、女性の表情が多岐にわたっていて現実に息づいている。
一瞬の豊かな表情をとらえている絵が多い。
福富は仕事柄多くの女性と会っていて、その人生を垣間見ているだけに現実の女性にちかい女性像をあつめていたのかもしれない。

コロナ禍で美術館はすいていたが、ジジイ二人、お互いに耳が遠いので、どうしても大声になってしまい、係のお姉さんに注意されてしまった。

今回のお目当ての絵の「軍人の妻」については明日のブログにじっくりと書きたいと思う。



yodaさんの投稿 - 10:34:40 - - トラックバック()

2021-10-19

旅だより・我が友

スケジュール表






実は東京駅に着いた時に携帯電話を忘れてきたことに気が付いた。
小千谷のY君とは携帯(いまだ私はガラケイだけれど)を使って連絡を取り合っていた。
携帯がないと何か断ち切られたような不安な気持ちになる・・・どっぷりと文明の利器に依存してしまっているようだ。
タカコサンはスマホを持っていて日々使いこなしているがY君の家の電話や携帯番号までは知らない。
そこで賢いことに・・・彼も同じホテルをとっているのでフロントに電話して事情を話して聞いたところ、自宅の番号を教えて貰えた。
そして、奥さんに彼の携帯番号を教えてもらった。
「いつもより早く起きて張り切って出かけて行きました。」
とのこと。
タカコサンと奥さんとは新婚の時に甲府で会い、実に50年ぶりの会話だそうだ。

新潟駅は工事中で何となく殺風景だったが、万代島方面口から出てタクシーでホテルに向かった。
ホテルのある場所は明治以降に埋め立て地として造成された場所で佐渡行きの汽船の港だったようだ・・・そこを再開発して新しい新潟の文化の拠点とした。
ホテルは、そのシンボルタワーのような役割をしている30階建ての高層ビルにあって、万代島美術館もこのビルの4階にあった。
モノの10分ぐらいでホテルに到着・・・ロビーで待ち合わせることになっている。
思えば私が体調を崩した年からずっと会っていない・・・4年ぶりぐらいになるだろうか。
透析で緊急入院をした時にはブログを休んだので心配して電話をくれた。
日日の動静はブログでほとんど知っているようだが生身で会うのは「お久しぶり」
若いころと違ってこの年代になると一年毎に老いが進みその変貌には不安があった。

元気だった・・・・以前会った時とほとんど変わっていなかった。
多少体型が小さくなったようにも思えたが声はマスク越しでもちゃんと聞き取れる。
彼との付き合いは高校一年からであるが60年の歳月を超えてその時の自分にもどっていた。
挨拶をすませると、まずは美術館見学そして夕食を共にすることにした。

そして今日、明日のスケージュール表を渡してくれた。
表と言うよりも冊子に近い、新潟に関する資料を集めて入れてあり、パソコンからの転載だという写真も印刷されていた。
そして翌日の2時まで付き合ってもらう。
新潟市内で観るべきところもまとめてあった。
新潟という町は明治以降に発展したところで、市内には歴史的建造物などほとんどないが、興味のある人物を輩出していて特に「会津八一」にゆかりのある展覧会をピックアップしてくれていた。

彼は高校時代と変わらず誠実で律義な人なのだ。
そして、80歳を超えても良き友が元気でいてくれるのは嬉しいことだ。


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